仏サマにダマシ取られた西瓜

私は小学校の頃、西瓜が大好物でした。

お盆にはその西瓜が仏壇に供えられます。小学校に上がったばかりの私は、学校から帰ったら外で遊ぶ前に先ず西瓜を食べたい一心で急いで家に帰ります。ところが、仏壇の前にはお坊さんが座ってお経をアゲている。西瓜はまだ食べられないな、と思って外へ遊びに出ても気が気ではない。家へ帰ってみると、お坊さんは父とお酒を飲み始めている。私はおふくろに西瓜を食べたいと言っても、「アトで!」といわれ、仕方なく遊びに出る。又家に帰ってみると、お坊さんが風呂敷に包んだ西瓜をブラサゲて帰ろうとしている。私は仏壇を見て驚いた。西瓜がナイ!おふくろに「西瓜は?」ときくと、仏サマに上げたと。私は怒り心頭に発し、お坊さんを2Km程離れたお寺まで尾行した。そして、おふくろと一緒に拝みに来るお堂のお釈迦様の前を見ても西瓜はない。いつもお食事を頂く座敷の方を庭の木の蔭からのぞくと、お坊さんが座ってフンドシ姿でウチワを使っている。そこへ、ナント簡単服姿の坊守さんが西瓜をお盆にのせてもって来て食べ始めた。絶対間違いない!アノ西瓜は俺の西瓜だ!仏サマに上げると言って、坊さんが自分で食べている。仏サマに西瓜をダマシ取られたイカリで泣きながら家に帰りました。この体験は私のイノチ(生命)にかなり強くインプットされ、それが敗戦後の私の「認識と価値の判断評価」の基準の追及に当たり大きく影響したと思われる出来事の一つです。
次は、「ブラジルに移民した人達は落っこちる!」 

2017年01月11日