七五三の不思議

私は、数詞の「ひとつ」即ち「一」とは何か、と思いつづけて来ました。辞書には、横に一本の線を引いて、天・地万物の根元を示し、ひいて「物事のはじめ」「数のはじめ」の意、ともあります。自然数の最初の数、零の次の整数(零およびそれに次々に一を加えたり引いたりして得られる範囲の数)、ともあります。零とは数量が全くない事。正数・負数の境目になる値、とも。ならば、正と負という相対的特質の二が帰一する根元だと言えなくないか?又、数量とは何か?漢字の生い立ちからみると、數とは声を出してかぞえる意の左側の字と、手で扱う意の右側の字とで、かぞえるとなったとされ、量とは重さをはかる意を表している。この数量が全くない、それを零と。そうすると、この零と「空」(クウ、そら、から、むなしい等の意)と どう違うか?また疑問がわいてきました。数に奇数と偶数という二つの特質があります。偶とは人と右側の字(人がならびあう意)とで、「つれあい」とか「たぐい」等組になり、二で割り切れる数とされています。奇数は二で割り切れない数です。奇は大(人の立ち姿)と可 カ→キ (一本の足の意)で、人が片足で立つ意で普通と異なるさま。例えば、呼吸もハクかスウかどちらか一つだけでは生きられません。又、奇数の中で 1、3、5、7、9 の中の 7、5、3 は①特に祝い事に使うめでたい数とされ、②本膳に七菜、二の膳に五菜、三の膳に三菜をつけた盛大な宴、③又、子供の成長の祝で数え年で男は三才と五才、女は三才と七才の11月15日に、晴れ姿で氏神などに参拝するなどの行事として伝えられています。今では七五三の宮参りで千歳飴の袋がつきもので又写真屋さんも大忙しのようです。私としては、このような七五三の宮参り行事は理解に苦しむところで、果たして子供の成長の祝だったのだろうかとの疑問をもちました。即ち、三才という第一反抗期と五・七才という第二反抗期の年令に成長した子供の矯正のための行事ではないかと。「育」という漢字は、子(♀)が逆さまになったさまと肉月の月とからなり、逆さ(頭が下)で母体から出て来た肉の塊が自然(じねん)に大きくなる事を表しているとされています。自燃(じねん)の育成の力です。胎児は母体を出た時、「オギャー」と叫びます。「叫」という字は口と音符のキュウ 丩 (ふりしぼるの意)とからなり、声をふりしぼってさけぶ意です。宇宙自然(じねん)の法則、いとなみによって母の体内と体外という二つの環境で育まれる赤ちゃんの個としての大氣の中での呼吸という初めての生命の活動(生活)の第一声です。天地・万物の根元の「一」! (次回に続きます)

2017年01月11日