二つの憲法の体験つづき

国民の生活のよりどころである憲法。その憲法が敗戦で変わったという事は、私にとっては「憲法は正しいモノ」との思いが間違っていたことになります。思い起こせば、歴史的にみても憲法は主権支配者によって変わった事は学んでいた筈。そうなると、自国のそれぞれの憲法の違いがあることも、又改変されることも本来当然の事であると納得できました。ならば、人類は各国独自の憲法を有し、その憲法はそれぞれ違いがあっても当然。国のあり方が違うなら各国間で争いが生じるのもまた本来当然の事である筈。争いがない人類世界を目指して、現在国連で調整しようという事になっている。各国が合意できる、そして正しい合意といえる法則の国連憲章が生まれました。しかし、各国合意できない事態が続出しています。ここで、私は「憲法は国家統制の根本法である」という「憲法という言葉」の認識は正しいと思います。憲法そのものが必ずしも正しいとは言えないということです。たとえば、裁判官は「法を基準として正・邪・善・悪を裁く職責のひと」「裁判官という言葉」の認識は正しいと思います。しかし、だからその人個人もまた正しいヒトとの評価は正しくない事もあります。裁判官でも法に触れる悪いコトをする人もいるのです。私は敗戦の体験から、このような認識と価値判断が正しい基準の欠如から混同されている例が多いこと、「正しい基準を見失った時代」の中に生きていること、に気づき始めました。
次は、「正しい基準を求めて」 

2017年01月11日